日々8割で生きるトリセツ

高次脳機能障害を持つことになったおじいちゃんと、家族のわちゃわちゃな日々

高次脳機能障害になった日(`・ω・´)

こんばんは、まりもです(`・ω・´)

ちょっとずつブログを書く事に慣れてきたかな?そうだよね?
あれ?案外続けられている(*´▽`*)
そんな気分です。

 

さて、2回目の記事でも軽く触れた高次脳機能障害。 

mago-plus.hatenablog.jp

ちょっと当時の心情を交えて触れてみようと思います。

 

今から4年前の2014年、右脳梗塞による高次脳機能障害と診断されたおじいちゃん。
急性期病棟3週間、リハビリ病棟5ケ月の入院を経て自宅療養しています。
(退院2か月でてんかん重積を起こし再入院、最近も別件で入院...)

高次脳機能障害となって1番困るのは、間違いなくまず本人。
今までの自分とは感覚が違うけれども、その違和感の正体を掴むまでが大変。
なかなかその『違和感』を説明できず、リハビリ病棟時には衝突もしました。

 

『CMに出ている○○がね、ホントにうるさい』

『アナウンサーの○○は、前より下手になった。理解できない』

 

ほぼ毎日見舞いに行っていたので、度々聞かされることに辟易もして。
以前も好き嫌いはハッキリしていたけれど、難癖に近い事を唐突に言うことはなかったなぁ。
今考えると、自分のなかの『上手くできない』物事に対するイライラが難癖になっていたのかと(。-`ω-)
理解できないのは、読み上げるスピードに対応しきれていなかったり、ボリュームが適切ではなかったり。
上手くいかない理由は自分の中ではなく、他者にある...と何でも考えていたみたい。


本人も人間、家族も人間。
完璧になんてできないし、求めるのも難しい。
けれど、お互いに『上手くできていた時』を共有しているので、感情の折り合いがつかない事は度々ありました。(正直、今でもあるなぁ...)

 

在宅介護を選択したのは、母も私も以前からおじいちゃんが「施設はなぁ...」と言っていたのを知っていたから。
けれど、いざ在宅介護が始まると病院で教わったことだけではフォローしきれない事にも気づきましたね(。-`ω-)

 

無理できるのも2、3日まで...か( ゚Д゚)

 

退院後、真っ先に思ったことでした(笑)
(一時帰宅の時に気づいておきなさいよって話ですね)

私の周りで介護をしている人たちがいます。
中学からの同級生のコ、母の小学校からの友達、高校からの友達。
みんな声を揃えて言う事が「最初から飛ばしたら続かないよ」でした。

 

ホントにねぇ、続かないよねぇ。
Bダッシュで真っ先に突っ込んでしまうタイプですよ、私。

 

今はBダッシュじゃないと思いますが、それでも何だかんだと言いながらおじいちゃんの高次脳機能障害と付き合っているつもりです。
それには、私なりのワケがあって...

 

てんかん発作で再入院する直前、病院で待っている間の事―。

「おじいちゃん、おじいちゃんにはどんな風に世界が見えているのかな?」

書物を読んだり、担当の先生、看護師さん、リハビリ担当の方々、色々な方々に聞いて高次脳機能障害を理解しようとしつつも、ちょっと疲れていた時。
ふと、おじいちゃんに聞いてみたくなってこぼした言葉。
(漠然とした話はより説明し辛いのに、ぼんやり、ふんわりした質問しちゃったな)
何て思ったときに、いつもよりハッキリと説明してくれました。

 

「倒れたあの日から、世界はずっと白黒だよ(´・ω・`)


話題の場所、話題のスイーツ、お昼の情報番組内のコーデ対決、警察ドラマ...
好きなものがいっぱいあって、年齢の割にアクティブで。
絵を描くのは苦手だけれど、絵画展に行くのは好きで。
そんなおじいちゃんが、モノクロの世界にいるのは辛い...
それが、何やかんやあってもBダッシュになるワケです。(やっぱりBダッシュ!!)
母も同じくです。

 

あの言葉から3年近く、今はちょっとでもおじいちゃんの世界に色があるといいと思いながら、ああでもない、こうでもない...と言っています(`・ω・´)

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しかし!!
在宅介護を誰にでもオススメするつもりは全くありません。
人それぞれ環境も、感情も違いますからね。
自分たちにとっての選択は何がベストなのか?
考える時間を作ってみることが、大事かもしれません(`・ω・´)

 

 

長くなりましたね、もう終わります。
次回は『おばあちゃんのフリーダム具合にご用心(`・ω・´)』をお届け予定(´▽`)